椿屋四重奏に思う事

2011年1月11日12:00着信のメール。タイトルだけで嫌な予感がしたのは今までに他のアーティストのオフィシャルメールで何度か経験していたから。あまりにも突然で仕事の休憩中という事もあり3人のコメントはざっくり読んだ程度。そうしないと仕事が手に付かないと思った。でも“解散”という2文字が頭から離れず。。


『これでライブの遠征費が浮くわ。その分自分に費やしてみようか。服を買っておしゃれして・・・』


とか無理矢理強がって午後からの仕事は乗り切った。ただどんだけ他の楽しい事考えても椿屋がいなかったら心がからっぽなんだよ。
椿屋を愛する皆様の想いも知りたいところだがまだ全く何処のブログにもお邪魔してません。人の思いは多種多様。色んな受け止め方もあるので先にそれを知ってしまうと自分の今現在の気持ちに違う色が入ってしまいそうだったので。今回ばかりは自分だけの今の想いをそのままここに残したいんです。簡単に“今までお疲れ様、これからも頑張って”とは言えないんです。だからここからは自分が思う事を思いつくままに書いていきます。文章の繋がりとかは考えない。
これが本当の支離滅裂で滅茶苦茶な文章だ、というのを椿屋四重奏中田裕二に捧ぐ。




ここまで追いかけたアーティストは今までいたかな。学生の頃は時間はあってもお金が無いからライブは地元の熊本に来てくれた時とか、ちょっと有名になるとキャパの問題もあって熊本まで来てくれないので頑張って福岡まで行ったり。社会人になるとある程度のお金は手に入るけど時間が無くなる。それでも時間を作って無理してでもライブに行ったのは今までに椿屋四重奏のみ。
最初にいいな、と思った曲は『紫陽花』。CDも買ったけどそれだけ。本格的に椿屋に興味を持ったのは『LOVER』。確かSURFACEのアルバム発売日で、そのアルバムの隣にあったのが『LOVER』だった。その場で試聴して即買いする程の出会いだった。SURFACEのおかげだな、彼らも解散したけど。昨年はSURFACEの解散、やっちんの脱退が突然知らされるという事が重なった。ライブハウスで見る最後のSURFACEライブの時も、4人最後の椿屋のライブも開演時間ギリギリに行って後ろの方で見た。次のライブの時に前に行けばいいや、という理由で。後になってどちらも後悔した。もっともっと近くで楽しめばよかったと。それからはいかなるライブも“今日のライブは今日しかない。次があるとは限らない。だから毎回大切に精一杯楽しもう。”と心に決めて参加してきた。去年のBDツアーだって最初福岡は仕事の関係上休みは取れないし仕事が終わってから行っても30分も見れない状況だったので諦めてた。でもそれでも行くべきなんじゃないかって。福岡まで来てくれてるのに行かないなんてダメだと。1曲でもいい、1曲でいいから見に行きたい。この年になってもそこまで思わせてくれるアーティストと出会えるなんて早々ないよね。そりゃあ食い入る様に堪能した。良ちんのドラム、たかしげのベースプレイ、全てが好きだった。中田裕二にいたっては歌う仕草も、視線も、表情も、指の動きも、歩く姿も、話す言葉も・・・瞬きでさえ覚えておきたかった。それぐらい惚れてた。このブログだってこの一瞬一瞬を書き留めたくて始めたので椿屋四重奏が無くなってしまうとなるとここも存在価値があるのだろうかと思わなくも無い。
節目や区切りに新たな発表があるのは今や驚く事ではない。結成10年だし仙台だからなんか動きはあるのかも、とは思った。第1に考えたのはてっしー加入。昔からの友達であればなおさらいいかな、と思った。こんな風にしか思えなかったのはやはり椿屋がこんな決断をBDツアー始まる前から決めていたというのを微塵も感じさせなかったからだきっと。バンドの雰囲気もバランスもとてもよく見えたのに。
自分はごく普通の人間なんでなんの予知能力とかも無いんだけど、解散発表前日になぜか不意にBDツアーのパンフレットを開いた。インタビュー読んで中田裕二はたかしげと良ちんに愛されてるんだなぁと思ったし、滅多にしないHDDの整理をしていて中田裕二が福岡にインストアで来た時の・・・8月か。地元番組でのインタビューを5ヶ月ぶり位に見たのもまさにその前日なんだけど。またこれがねぇ。ソロでやってサポートミュージシャンとステージに立つという選択肢もあるのに『椿屋四重奏』というバンドでやりたいのは何故かと言う問いに「完璧に出来る人を集めてやるのは簡単だけど、なんか少しかけてる人達と一緒に夢を楽しむのがロックバンドの醍醐味だ」と中田裕二は答えた。
冷静に椿屋四重奏というバンドを見ると、確かに中田裕二が頭の中で完全体として作り出した曲世界をたかしげと良ちんが忠実に再現するという形なのでこのインタビュアーが聞いた事は当然聞いてみたくなる疑問でしょう。でも2人は完全に中田裕二の才能に惚れこんでるんだよね。だからこそ中田裕二にここまで付いていってたんだし中田裕二の求める物に答えてあげたかったんだと思う。ベースを弾いてるたかしげは力強くも繊細で、そのままでも十分だったのに何が悩みだったの??と聞きたい。これはたかしげが中途半端なんじゃない。中田裕二の目指す場所が高すぎた結果。コンポジやったり色んな音楽に触れて経験積めば比例して引き出しも増えていく。毎回新しいアルバムを聞く度に、毎回驚かされてた。曲幅が広くてこの人凄いなっていつも思わされる。それがちょっとだけ重荷になったのかな。中田裕二が目指す所に辿り着きたいんだけど出来なかった時の歯痒さというか。好きなだけではダメなんだ・・・って切なすぎるな。やっちんが脱退した時も解散を考えたくらいだからこれがたかしげとなると。。中田裕二にとってたかしげと良ちんはやっぱりかけがえのないものだったんだよね。だからこのどちらかが欠けてしまえば椿屋四重奏の意味は無くなってしまうんだよね。BDツアーの熊本では滅多に喋らないたかしげが熊本時代のバンドの話を大切に話してくれた。てっしーもいるからただの思い出話と思ったんだけど今考えれば出身地でやる最後のライブに何か思う事があったのかも。確かにこの先椿屋四重奏のライブが見れなくなるのは残念だけどそこまで悲しくは無い。みっちり椿屋と共にした月日はたったの3年半。その間に行きたいと思ったライブには極力参加したので後悔があまり無い。まあ椿屋発祥の地仙台のステージに立つ椿屋を見れなかった事が心残りだが。ただ何が残念か、悲しいか。それはこれから永田貴樹がベースを弾く姿を見る事が出来ないという事。中田裕二は形は変われどこの先も自分の作る音楽を続けていくし、良ちんのドラムを叩く姿もいつかは見る事が出来る。だけど音楽活動自体を辞められると追いかける事も出来ない。違う形でメディアに登場するような男ではないし。せめてベーシスト永田貴樹であり続けてほしかった。
そして良ちんの言葉・・・取り方はさまざまだけど初めて目にした自分にとっては酷だった。1度決めた事。なのに「正直これで終わりたくない。」って何よ。椿屋を愛する皆もこう思ってるのは当たり前。できれば終わらせたくない。でも終わらせるも続けるも選択出来る立場にいる当本人からこう言われるとじゃあなんで終わるんだよ、と頭にきた。終わったばかりのものに未来を見ろって事??再結成するように今から祈っておけと??どんな感情があっても潔く「未練は無い。」と言ってくれた方がまだ素直に泣けた気がする。でも少し時間が経った今なら良ちんの気持ちが分かる。きっと椿屋における全ての最終決定権は中田裕二。良ちんは本当の自分の気持ちを伝えてくれただけ。それが良ちんの優しさなんだ。捻くれてたのは自分の方。優しくて笑顔の素敵な良ちん・・・ありがとう。
そして1番精神的にも辛かったであろう中田裕二。よくもまあやっちん脱退の時もそうだけど、解散の事も一切匂わせずにここまでやってくれましたね。あっぱれです。考えただけで泣けてきます。そんな状況でライブやって沢山幸せな気持ちにさせてくれた貴方に感謝します。やっぱ凄いわこの人。ところで捨てていないあの夢って何ですか。武道館ですか。でもそれは椿屋四重奏で叶えたい夢だったはず。この際最後に日本武道館で解散ライブやってしまえばいいのに。しっかりと3人の姿を目に焼き付ける最後のチャンスを下さい。収容人数がどうのこうのではない。たかしげと良ちん、3人で立つ事に意味があると思う。20代を椿屋で生きて椿屋の生まれた仙台で散ったのなら、30代は少しだけ自分の生まれた場所を振り返ってみてはくれませんか。もう少しだけ大切な場所だと誇りに思ってもらえれば同じ場所に生まれた椿屋好きの皆は泣いて喜ぶのに・・・熊本市の花は肥後椿。今から春にかけて綺麗な花が咲くなぁ。
ドラマのタイアップとかも増えて認知度も少しずつ出てきた矢先なのでやっぱりもったいない。どの曲聞いても他のバンドには無い個性を持ってるし唯一無二だったのに。ただ椿屋四重奏に出会ったおかげで色んな事が出来るようになった。このブログも始めた。それによって知り合えた人達が沢山いる。インドア派だったのにライブ遠征する事で色んな場所を知る事が出来た。名古屋の朝焼けとか最高だった。いっぱいいっぱい思い出ができた。いい事だらけだった。本当に感謝する事ばかり。
泣いても喚いても椿屋四重奏は終わってしまったのだからどうにもならないけど、暫くの間は椿屋の曲は聴きません。もうちょっと時間を下さい。そしたらいつもの中田裕二溺愛バカに戻れるから(笑)。

只、これからも3人の幸せを願い続ける事に変わりはありません。